私が日本の会社を辞めて、オーストラリアに留学をしようと思ったときのことです。
留学しようと思った理由は、当時とにかく大前研一さんという経済学者の本にハマっていて、
「日本経済はやばい」
「日本の若者はどんどん海外に出ろ!」
という話に影響されたことがきっかけでした。
世界のヘイショー
当時はこのような危機感をやたらと持っていました。
また、もともと性格的にも休日にショッピングに出かけたり飲みに行ったりという生活習慣があまり好きではなく、休みの日はとにかく英語の勉強とダンスの練習、長期休暇の時には海外旅行をする事が好きだった自分にとって、日本での生活に退屈さを感じていたのかもしれません。
ただ、当時の自分は「留学」というものがとんでもなく高価なものだと思っていました。
目次
そんな時に見つけたのが「ワーキングホリデー」
これが何かというビザの種類で、カナダ、オーストラリアなどで学校で勉強をしたりアルバイトができるといったものです。
期限は1年間。
早速、大阪の天満にあった日本ワーキングホリデー協会に訪問してみると、ワーキングホリデーに関する色々な情報が収集できるようになりました。
ワーキングホリデーの落とし穴「曖昧な目的」
よく注意されたのが、「目的を持つように」という事。
ワーキングホリデーで働くのも学校で勉強する事も自由な為、「1年間ひたすら遊んで何も得るものが無く1年が過ぎてしまった」という方も多いようです。
私が掲げた目標は、とにかく英語を勉強する事でした。
アルバイトしながら英語を勉強して、ワーホリ後は海外営業の仕事をする事が夢だったのです。
あとはもう一度ダンス頑張りたいな、という気持ちも少しありました。
(高校、大学時代にハマッていたのですが、社会人になってなかなか練習する時間が持てずにいました。。)
2009年夏、オーストラリアへ出発
サウスオーストラリア州のアデレードという街に住む事に決めました。
このアデレードという街では、無料の英語教室が開催されている場所が多くあり、しばらくはこの「フリーイングリッシュクラス」に毎日通っていました。
教会や図書館でボランティアの方々が教えて下さっていたり、専門学校などでTESOLというコースを勉強している生徒さんの授業の練習台になったり。
とにかく、お金を払わずに授業を受ける事ができたのは驚きでした。
寿司屋さんでアルバイト開始!!
無事シェアハウスも見つける事ができ、そのまま寿司屋さんのアルバイトを始めました。
この寿司屋さんの名前はアデレードでは有名な「スシトレイン」。
時給は1時間15ドルとなかなか良く、厳しい仕事でしたが無料の英語学校を通いながらアルバイトして、少し貯金をする事もできました。
ダンス活動も開始
転機が訪れたのは、英語教室でダンスをしているという韓国人の友人と出会ったこと。
彼とは親しくなり、皆で練習しているというダンススタジオに連れて行ってもらうと、そこではアデレード一のB Boyクルー「Freak Elites」と呼ばれるダンサー達と出会いました。
週2回くらい練習に参加するようになった私は、英語があまり話せないせいか最初はなかなか皆と馴染めませんでしたが。。。
それでも真剣に練習している私を見て話し掛けてくれる優しい仲間がいたおかげで、徐々に友人が増えていきました。
この頃から、ダンスとバイトと英語教室と割とスケジュールの詰まった生活ができるようになりました。
ローカルのアルバイトを探し始める
アデレードに来て半年が経とうとしていた頃、ローカルのアルバイトを探し始めました。
日本食の寿司屋さんのバイトも良かったのですが、やはりローカルのレストランの方が給料も高いし、英語の勉強にもなる。
サイトのアルバイト募集を見たり、色々と情報を収集したのですが、なかなか見つからず。。
飛び込みのアルバイト探し
最終手段として、レジュメを大量に発行して市内のレストランへ飛び込みでバイト探しを開始!
この時はかなり勇気を振り絞りました!
始めはたどたどしく、つたない英語で話していたのですが、毎日20件くらい回っていく内に多少会話を弾ませるるようになってきました。
店の人
世界のヘイショー
世界のヘイショー
とか聞いている内に、遂にバイト募集をしている店に辿り付けました!
皿洗いの自給がなんと22ドル
ホテルのレストランの皿洗いで、時給はなんと22ドル!!
トライアルを何とか合格し、めでたくも皿洗いのアルバイトを開始しました。
大体1日3~4時間を週3~4日のペースで働いたのですが、それでも生活費を稼ぐには十分という脅威の時給の高さです。
仕事内容もなかなかおもしろくて、けっこうストレスの溜まる日本食レストランと違って陽気なオーストラリア人と働くのは楽しかったです。
世界のヘイショー
極めつけは、3日くらい連続で二日酔いでバイトに行った時のことです。
しんどそうにお皿を洗っていたら、
シェフ
と仕事中にお酒を飲む事をすすめてきました笑。
かなりお酒好きと思われたのか、最後日本に帰る為にバイトを辞める時、バイト最後の日にも選別としてウォッカのボトルをプレゼントされました笑。
ここのレストランで半年間働く事ができたのは本当にラッキーだったと思います。
皆の言っている英語を理解するのは難しかったけど、オーストラリア人の文化や人柄が良く知る事ができて本当に良かったです。
バイト以外の話。友人とシェアハウスに住み始める。
アデレードに住み始めてから半年くらいが過ぎた時、新しい家を探さないといけない事になったのですが、この時に協力してくれたのがダンス仲間のクリスでした。
家探しのウェブサイトに投稿してくれたり、一緒に家を見て回ってくれたりしてくれて助けてくれました。
ある時、市内の立地条件のいいアパートが見つかったのですが、家賃が週220ドルと少し高かったので断念しようとした時のことです。
クリス
と言って部屋をシェアして、このアパートに住む事になりました。
それまでの家は郊外だったので、夜に友人と遊ぶ時などはバスの時間を気にする必要があったのですが、そのアパートは市内のど真ん中だったので、友人と飲みに行く回数も自然と増えていきました。
ダンス仲間と遊んでる内に。。
さらに家には色々な友人が遊びにくるようになり、よく家で宴会するようになり、週末はよくクラブなどに遊びに出かけました。
一緒に遊ぶのはダンスの仲間だったのでクラブに行ってもみんなよく踊るし、毎週のようにダンスバトルが起こるので楽しかったです!
そんな感じで楽しいワーホリ生活を送りました。。。
遊んでばっかりだと思われても仕方ないですが、英語はかなり上達しました。
語学学校に行くよりも、居酒屋とかで現地の友人と話したり仲良くなることで自然と英語は上達するのだなと思いました。
秋ごろに日本に帰国する事になったのですが、嬉しい事にダンス仲間が送別会を開いてくれました。
地元最大のクルー「Freak Elites」の一員に。。
2次会でクラブに行った後、リーダーが「皆クラブの外に集合!」と号令を掛けたので、皆が外に集まって話が始まりました。
お別れの挨拶か、と思って聞いていたのですが。。
リーダー
と、なんとクルーに入れてもらえる事になったのです!
それまでは練習や大会に参加する時などもずっとFreak Elitesと一緒に行動していたのですが、「チームに入れ」という話が全然来なかったので、「まあ自分は外国人だし、1年しか滞在しないんでしょうがないか。。」と思ったのですが。。
お別れのタイミングになってクルーに入れてくれるという粋な計らいを見せつけられました!
Freak Elitesはアデレードで1,2を争うB Boyクルーで、ダンサー以外にも知られているくらい有名な集団なので、とても光栄な事でした。
オーストラリアのワーホリでの一番の収穫は。。
オーストラリアに来る前は、「英語を上手くなりたい」「キャリアを磨きたい」とばかり思っていたのですが、実際にここに来て一番良かったなと思えるのは、兄弟と呼べるくらいの友人が沢山出来たことですね!
ちなみにアデレードには後にIT留学で帰ってくるのですが、その時の話はこちらをどうぞ。
オーストラリア就職の方法については、こちらの記事をご参考ください。